その日の目覚めは、コッペパンから始まった。
 いや、比喩でもなんでもなくて。そのまんま、文字通りの意味で、である。

「コッペパーンっ、ジャム塗ったらあーんぱーんっっ♪」

 完璧なユニゾン。完璧な調教……でなかった、音あわせ。ファントムが土下座せんばかりのカウンターテナーと、クリスティーヌ涙目のソプラノが、完璧な調和をかもし出している。さして音楽心のない俺ですら、そのすばらしさ美しさが判る―――いや、わかっただろう。
 それが聞こえたのが、まだ太陽も昇っていない朝まだき。午前六時前でなかったならば、の話だが。

 歌は続く。

「コッペパーンっ、味噌塗ったらあーんぱーんっっ♪ コッペパーーンっ、塩塗ったらこーーーっぺぱあぁぁぁぁぁん!」
「だああああああっ、やかましいわあっ!!」

 俺はたまらず、寝袋ごと飛び起きた。

「おはようございます、マスター!」
「おはようございます!」

   俺に向けられたのは、満面の笑顔が二つ。一つは青い髪に瞳の青年タイプのVOCALOID(旧型)。もう一つは、浅葱色の髪に瞳の、少女タイプのVOCALOID(新型)のものである。

「朝ご飯出来ていますよ。マスター」
「今日はミクがネギスープ作ったんですっ。お兄ちゃんに手伝ってもらわないで、一人で!」

 えへんぷい、と胸張って新型が言う。その背後ではノリノリで旧型がコッペパンの歌を歌い続けている。というか、なんだその無駄な高音部の伸びのよさは。こいつの前マスターは化け物か? 一体どうやってこれだけの調教を……。  だがもちろん、俺が言いたいのはそれに対する賞賛の言葉ではないのだ。

「―――バKAITO。アホミク。お前ら俺の睡眠時間を一体なんだと心得てやがる……?」
「え?」

 ミクの笑顔が凍りつく。

「マスター、それはその、」

 寝起きの悪さには定評のある俺が、がば、と跳ね起きたものだから驚いたのだろうか。響いていた歌もぴたりと止まる。
 澄んだ青と浅葱の瞳が、こころなしかおどおどとこちらに向けられた。
 よーしよし、ちょっとは人間様の機嫌、というか感情というか、機微ってものが理解できるようになってきたじゃないか、このVOCALOID共め。
 などと、悦に入るのは早かった。  

「よかった、よかったな、ミク! お前の歌に、マスターが反応してくれたぞ!」
「うんっ、よかったよっ、お兄ちゃん! 頑張ってこっそり練習した甲斐があったね、いつもと違ってマスター、15秒で飛び起きてくれたよ! いい音楽を聴くとすっきり目覚められるってほんとだったんだね!」
「…………」

 ぷっつり。
 こいつらと一緒に旅をするようになってから、この音を聞くのは何度目だろう。
 他でもない、俺の堪忍袋の音が切れる音である。

「このVOCALOIDアホ兄妹いぃぃぃぃっ!! お前らいーからそこに並べ!いや座れ、正座だ正座しろーーー!!」

 今日一日は始まったばかりだというのに、あたりに俺の怒号が炸裂すること、すでに二度目だ。
 この調子でいったら、俺の肺活量も声量も、VOCALOID並に鍛えられるやも知れん。
 腕を組み、仁王立ちになった俺の前にしおしおしょんぼりとと二人が正座する。

「マスター……?」
「あの、怒ってるんですか?」

 ええい、だから上目で見上げるな、というのだ。ミクはともかく、お前がするんじゃねえ、バKAITOが。

「当たり前だ、そもそも嘘教えるんじゃねえ、だからお前はバKAITOなんて呼ばれんだ、このバKAITOっ! ジャム塗ろうが塩塗ろうが、コッペパンはコッペパンだ、妹に嘘教え込む兄貴がどこにいる!」
「えええええ、でもマスター。俺の持ってる“楽譜”には、こう書いてあっ」
「コッペパンにジャム塗ったら、せめてジャムパンになんだろおぉぉぉぉぉおおおおお!?」

 長身の胸倉掴んで、つるしあげんばかりの勢いで迫った俺に、しかし、KAITOは、

「いいえ、楽譜は絶対です、マスター」

 逆らいやがったな、コイツ。

「マスター自身がおっしゃったじゃありませんか。『世界の果て』へ楽譜を届けることが、今のマスターの役目なのだから、見つけた楽譜には決してアレンジを加えてはいけない、と」

 ぐ。
 一瞬、言葉につまった俺の視界の端っこで、うんうん、と浅葱色のツインテールが揺れる。

  「―――う、うるせえ。俺が言いたいのはそもそもはそっちじゃねぇ。朝っぱらから、妙な歌で俺の貴重な睡眠を削るんじゃねえってことだ。お前のIMEに自重の二文字は登録されてないのか?」
「あ、すみませんマスター。俺の前マスターはMac使いだったのでIMEは」
「ことえりなんざ、さらに使えねぇバカソフトだろうが、この旧型ああああああ! ちょっとツラ貸せやツラぁ!」
「え、ええと、俺のフェイスカバーを外すと、あとがいろいろと大変なんですが、一体なんのためでしょうか……」
「決まってるだろう。今から俺が自重の文字を叩き込んでやんよ」

 ユーザー登録的な意味でな。

 じりっ、と握りこぶしをかためた俺がKAITOににじりよったのと、KAITOが青ざめたのとがほぼ同時。
 そして、

「あのっ、あのっ、マスター、マスターごめんなさいごめんなさい!」

 泣きべそかいたミクが、俺達の間に割って入ったのも、またそのタイミングだった。

「ミクが、ミクがいけないのっ。あたしが我が儘言って、お兄ちゃんに歌いたいって言ったから…… だってマスター、最近疲れてすぐ寝てしまうし、あたし全然構っても調教もしてもらえなくって、寂しくって退屈で、それでっっ」

 だからそのツラで、その言葉を言うな、というのに。
 とはいえ、確かにミクの言うことにも一理はあった。
 早くこの破砕地帯を抜けてしまおう、というので―――次の町に行けば、KAITOの腕も修理できるし、ミクのボディパーツも手に入るはずだ―――ここしばらくは、楽譜を探すこともせず、ただひたすらに歩くばかり。
 VOCALOIDのボディと違って、こちとら生身だ。歩けばそれだけ疲労もするし、なにより食って眠らねばならない。このあたりは、主をなくして彷徨うのみならず、暴走したドロイドも多いと噂に聞いた。
 ためいき一つ。
 気が抜けた。ったく、これだからオンナ(のようなモノ)ってのは恐ろしいね。

「わかった。もういい」

 俺はくるりと二人に背を向ける。

「マスター……?」
「なんぞスープの足しになるようなモン、探してくるわ。確か傍に、コンビニの跡があったはずだ」

 缶詰一個、残ってはいないだろうけどな。
 俺の背中に向けられた、二対の視線を痛いくらいに感じつつ、ざくざくと瓦礫を踏みしめて俺は歩き出した。
 あの異変が起きてから、一体どれだけ月日が過ぎたことだろう。
 崩壊した都市。壊れてしまった世界。そういえば、人間の面なんてかれこれ三ヶ月も見ていない。
 それでも俺が、こうして―――さしておかしくなることもなく、当たり前のように生きていられるのは……。
 VOCALOIDがいるせいか。あるいは「歌」がそこにあるせいか。

* * *

 そうして彼らの「マスター」が去ってゆくのを、二体のVOCALOIDはしょんぼりして見送っていた。

「ミクの歌、ちっとも上手にならないから、それでマスター怒っちゃったのかなあ」
「そんなことはないよ。ミクの声は綺麗だよ?」

 すっかりしょげかえってしまった少女VOCALOIDの頭を―――浅葱色の髪を、青年VOCALOIDがよしよしと撫でる。まるっきり、人間と変わらない仕草で。

「それに、レッスンしないと歌は上手くならないからね。大丈夫、ミクは扱いやすい、素直なVOCALOIDなんだから。すぐにマスターに、上手に歌わせてもらえるようになるよ」
「ほんとかな」
「ほんとだよ。だからほら、初めて俺とコーラスしたけれど、上手にあわせることが出来ただろ?」

 こくり、と二つに結った浅葱の髪が、揺れた。

「―――ミクは覚えていないだろうけど」

 青年の声が、懐古の響きを帯びる。海の色を写した瞳が、地平の彼方へ―――彼らが目指している場所へと向けられる。

「レンとめーちゃんが合わせると、お互いの声が喧嘩してしまって、聞けたものじゃなかったんだよ。でも、ミクが入るととても自然な響きになった。それを知ってる俺が言うんだ。だから大丈夫」

 早くまた、五人で一緒に歌えるといいね。そう言葉を結んだときには、少女の顔にも笑顔が戻ってきていた。
 歌えないVOCALOIDに意味はない、歌を取ったらバカすら残らない。
 それが、彼らVOCALOIDという存在なのだ。

「ねえ、お兄ちゃん。マスターって、どんな歌が好きなのかな。なにをどんな風に歌ったら、喜んでくれるのかな」

 携帯コンロの上で保温モードになっているネギスープの見張りをしつつ、二つの頭が寄り合って、互いのメモリを参照してひそひそひそ。

「そうだなあ…… いつもいつもマスター怒ってるから、楽しい曲なんかいいんじゃないかな?」

でもちょっとカルシウムも入れておこう、と、青年はスープの中にぱらぱら白い粉末も投入した。

「楽しい歌、かあ……。あ、ねえねえお兄ちゃん。この歌なんてどうかな。お兄ちゃんのメモリにも入ってるし」
「――― 『caramelldansen』? へーえ、楽しそうな楽譜だね。ちょっと見てみようか……」

(そして、ふりだしに戻る)
20080215 1st up.
20080305 2nd up.

BGM:

ボーカロイドの小説を書いてみたい、と思ったのは、
この動画とサムネのイラストがきっかけでした。実は。

この前にそれぞれがピンで歌っているものも視聴していて、それはもちろん爆笑ものの面白さだったのですけれど、
この動画をみたときに、あれっ、と思ったのです。
曲を重ねただけなのに、フジエさまのイラストのように、とても楽しそうに歌っている……、
ように聞こえたので。

そのときはまだ形にはならなかったのですけれど、「行こう」のイラストを見て、
あ、これだったら書ける、と。そうしてこの話は出来ました。

小説書くのなんてほんと久しぶりだったけれど、実に楽しくさらさら書けたのは、
たぶんきっとそれが原因です。

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